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東大和市付近の交通(主に鉄道)の歴史

東大和市の鉄道小歴史

西武拝島線 その3

東京瓦斯電気工業株式会社の沿革

 

 西武拝島線の元となった日立航空機専用鉄道を、前稿で紹介しました。今稿ではこの専用鉄道をつくった日立航空機(株)と、その前身の東京瓦斯電気工業株式会社を、もう少し詳しく記します。

 

31瓦斯電大森  

大森工場の様子 ゼノア物語より模写 クリックで拡大

 

 東京瓦斯工業(株)の創立は明治43(1910)年8月で、ガス器具(ガス灯)・琺瑯鉄器を本所業平橋の工場で製造していました。大正2(1913)6月社名を、東京瓦斯電気工業株式会社としました。この頃から製造品目が多岐にわたり、大正78年には計器部・自動車部・火薬部・航空機部・兵器部・造機部および紡績部がありました。大正6(1917)年に大森工場(図参照:大森工場の様子)を建設し、それは省線(現JR)大森駅と京浜電気鉄道(現京浜急行電鉄)大森海岸駅の間にありました。その中でも航空機部門を図に赤色で示しました。

 

32瓦斯電大森跡  

今も残る大森工場航空機部の工場建物 ゼノア社報発刊時の写真

 

昭和に入り航空機用エンジンの生産も増大し、この大森工場では生産拡大が望めないため、昭和13(1938)年大和村に進出してきました。

 

37会社沿革  

会社の沿革 ゼノア社報より模写

 

14年航空機部は日立航空機株式会社となり、造機部は日立工作機(後の日立精機)に、兵器部は日立兵器(後の日立工機)に、計器部は昭和12(1937)年に東京機器工業(後にトキコ)となりました。自動車部は、昭和12年自動車工業株式会社(石川島自動車製造所とダット自動車製造が合併して出来た会社)と合併し、東京自動車工業を設立しました。この会社は後にヂーゼル自動車工業となり、さらにいすゞ自動車となりました。昭和17(1942)年には、ヂーゼル自動車工業から日野製造所が分離し、日野自動車の元となる日野重工業を設立しました。日野自動車では、日野製造所に星子勇氏ら瓦斯電出身の技術者がいたため、自社のルーツを瓦斯電としています。前稿の「神風(じんぷう)」「天風(てんぷう)」エンジンのうち、「天風」エンジンが十和田湖から引き上げられ、「日野オートプラザ」に展示されています。なお、エンジン名は小松ゼノア社報内記事ゼノア物語が、「じんぷう・てんぷう」と呼んでいるためこれをとりました。

 

34大和中学校正門跡  

日立航空機青年学校跡正門 昭和34年頃 理容西川所蔵

青年学校は現ヤオコーと丸山台住宅付近にあった

奥に見える建物は、家族寮の「新風荘」で

丸山台住宅の東側にあった

 

35現正門跡  

上と写真と同じく東北東の方向を撮った

 

 そして昭和20(1945)年終戦し、軍需工場だった日立航空機は整理業務に入り、昭和21610日に日興工業株式会社(整理会社)と社名を変えました。工場用地も民生品生産に必要な自社用地(現イトーヨーカドー周辺)を除き、西武鉄道に専用鉄道(後に上水線となります)も含め売却しました。社宅用地は大蔵省に物納され、後に住民に有償で払い下げられました。

 

38土地移転登記書  

有償払い下げ時の権利証

 

 昭和24831日、企業再建整備法による新会社として東京瓦斯電気工業株式会社を設立し、再度瓦斯電を名乗ることになりました。

 その後、合併により社名を変え

 昭和28(1953)年 51日 富士自動車株式会社

 昭和48(1973)年 11日 ゼノア株式会社

 昭和54(1979)101日 小松ゼノア株式会社

 平成12(2000)年、東大和市から埼玉県川越市に工場移転

 平成19(2007)12月   ハスクバーナ・ゼノア株式会社

と変遷しました。


Kenzo
  1. 2014年02月09日 21:13 |
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